日記やブログ更新を毎日するのは、難しい。
 理由はこうだ。
書くことは何でもあるはずだが、生きているんだから、しかし、目的や、書く意義がないから書くのを「忘れる」のだろう。
 筆者の日々を思うと、毎日何か思い、ちょっとした出来事はある。
 しかし、書くのを忘れる。つまり、書く必要性や、日記やブログの存在を忘れる。
 つまり、忘れるということは、それほど本能が「書く」ということを忘れてしまうほど、重要性が低いのだろう。
 人それぞれ性格によるが、日記を必要とする性格かどうか?にもよるのだろう。
 例えば、筆者も経験があるが、文字に書き出すと、その時の思考が整理されて、頭の中がスッキリ並び直され、整ったと感じることがある。
 これは、頭の中の記憶の断片が、バラバラの要素から、論理的なつながりを順序だて再構成され、呼び出しやすくなったからである。つまり、ギュッとゅ圧縮され、頭の中引き出しの手前に並べられたのである。
 書くという、一見して無駄な行為は、人の頭脳の限界をさらに上げる道具となっているのである。
 太古の世界から、壁に動物の絵があるなど、文字の起源はとても驚きに満ちたものであり、現代のわれわれの扱う文字は、非常に洗練された「情報」なのである。